目標を見失ってはならない。全速力を。
「このたび、皆さまにご利用いただいております「SSブログ」に係る事業を、ソニーネットワークコミュニケーションズ株式会社(So-net)からシーサー株式会社に事業譲渡する運びとなりましたので、お知らせいたします。」
「特段のお手続きなく継続してご利用いただけます。」
「本件事業譲渡にご同意いただけない場合には、2020年5月31日までに解約のお手続きをお願いいたします。」
という内容の事業譲渡の通知が、私たちSSブログのユーザーに届いています。全文はこのブログサービスのトップページで公開されています。
https://blog.ss-blog.jp/
「WHAT'S NEW? 新着情報 04/29【最重要】「SSブログ」事業の譲渡のお知らせ」
6月1日に譲渡されるということで、もしかすると当日から、画面上などに何か変更される部分があるのかもしれませんが、閲覧されるうえでは、特にするべきことは変わらないようです。
ブログを書くために登録している個人情報も別の業者に渡されるというのは気分が悪くなる話です。
「本件に不満があればブログをやめていい」と記されている通知でした。まるで読む側に怒りをぶつけるかのようで不快です。
けれども、手に負えない相手のことを考えていても役に立たないのであって、自分の目標を忘れるべきではありません。
アイデアや思い描いたことを自由に発表できる場なんて、努力と幸運が無ければ確保できない。
有名人とか特権階級ではない、私たちのような庶民にとっては所詮こんなもの、なんでしょう。
こんな一介の庶民が身の上を嘆いても、陳腐なセリフにしかならないでしょう。
そんなセリフを、もしもソニーやライブドアの創業者のような戦国時代の豪傑が聞いたら、努力不足の能なし、としか思わないのかもしれません。きっと私には想像もできないような、すさまじい皮肉や罵声を返してくるでしょうね。
ブログを潰さなかったんだから感謝しろ、とも言われるかもしれませんね。
作品を公開できる場は、突然変わることになったり、無くなってしまうことだってあるんです。
私よりも巧みに未来を予測できる人なら、長く繁栄し存続する発表の場を見抜いて、乗りかえるのでしょう。
私がいじけて愚痴をこぼしても、くやしかったら自分で美術館を建てろ、とでも言われるんでしょう。
私としては、仕事として作品を作る立場へたどり着くまで、努力するのみです。
ネット上の投稿サービスは、そこへたどり着くまでの売り込み道具であって、目標でも生きがいでもない。それでいいでしょう。
プラットフォームが崩れ去る前に、渡り切れ。自分の稼ぎで足場を造れる所へ、たどり着け。
「特段のお手続きなく継続してご利用いただけます。」
「本件事業譲渡にご同意いただけない場合には、2020年5月31日までに解約のお手続きをお願いいたします。」
という内容の事業譲渡の通知が、私たちSSブログのユーザーに届いています。全文はこのブログサービスのトップページで公開されています。
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「WHAT'S NEW? 新着情報 04/29【最重要】「SSブログ」事業の譲渡のお知らせ」
6月1日に譲渡されるということで、もしかすると当日から、画面上などに何か変更される部分があるのかもしれませんが、閲覧されるうえでは、特にするべきことは変わらないようです。
ブログを書くために登録している個人情報も別の業者に渡されるというのは気分が悪くなる話です。
「本件に不満があればブログをやめていい」と記されている通知でした。まるで読む側に怒りをぶつけるかのようで不快です。
けれども、手に負えない相手のことを考えていても役に立たないのであって、自分の目標を忘れるべきではありません。
アイデアや思い描いたことを自由に発表できる場なんて、努力と幸運が無ければ確保できない。
有名人とか特権階級ではない、私たちのような庶民にとっては所詮こんなもの、なんでしょう。
こんな一介の庶民が身の上を嘆いても、陳腐なセリフにしかならないでしょう。
そんなセリフを、もしもソニーやライブドアの創業者のような戦国時代の豪傑が聞いたら、努力不足の能なし、としか思わないのかもしれません。きっと私には想像もできないような、すさまじい皮肉や罵声を返してくるでしょうね。
ブログを潰さなかったんだから感謝しろ、とも言われるかもしれませんね。
作品を公開できる場は、突然変わることになったり、無くなってしまうことだってあるんです。
私よりも巧みに未来を予測できる人なら、長く繁栄し存続する発表の場を見抜いて、乗りかえるのでしょう。
私がいじけて愚痴をこぼしても、くやしかったら自分で美術館を建てろ、とでも言われるんでしょう。
私としては、仕事として作品を作る立場へたどり着くまで、努力するのみです。
ネット上の投稿サービスは、そこへたどり着くまでの売り込み道具であって、目標でも生きがいでもない。それでいいでしょう。
プラットフォームが崩れ去る前に、渡り切れ。自分の稼ぎで足場を造れる所へ、たどり着け。
終息を見据えたイベント再開は…
イベントは全部オンライン参加になる?
…えーっと。健康的で充分な気分転換になる休養、としては、それ、ちょっと違う気がしますけれど…。
通勤とか会議とかは、まずストレス減らすのが重要だからオンライン化する意義があるのであって、イベント参加とは性格が違うでしょう。
これからの時代、イベント出展はどうなっていくのかな。そう思う時があります。
もちろん私が本当に目指すのは、仕事として請け負って、作品で報酬を受け取る立場です。
けれど、クライアントとか採用担当者という人と親しくなったことが無いので、出展したことがあるイベント、参加申し込みを現在済ませているイベントが頭に浮かびます。
10月開催予定の、制服コミュニケーションの会場には、まだ行ったことがありません。一度くらい交通の下見をしておきたいから気がかりです。
11月開催予定のデザインフェスタにも、申し込みだけはしました。抽選結果の通知はまだ少し先ですけど、まあ、申し込みをしたこと自体が「#がんばれデザフェス」と伝えたようなものです。もし落選でも恨みはしませんよ。
まだ開催できないイベントも確かにあります。高校野球が中止になった、合唱、吹奏楽が、というニュースを見かけるたびに、自分が参加するイベントはどうなるだろうと、つい思ってしまいます。
でも、これもイベントによって事情が違います。遠方から来て集団で宿泊するとか、スポーツや音楽のように、呼気が届く距離に人が集まらざるを得ないものだとか。同人イベントに直ちに当てはまる話ではないはずです。
それに今、感染拡大を抑える努力をしていれば、9月や10月には良い変化があるかもしれません。
でも、デザインフェスタにしても、コミティアほか同人誌即売会にしても、出展希望者の倍率は厳しくなるはずです。
会場内で人同士の間隔を広くしなければならないんですから、通路の幅や数を増やして、私たちが借りられるブースは少なくなると考えるのが自然です。
一般参加での来場だって、時間や人数の制限が厳しくなるのかもしれません。
開催可能と判断されても、感染が脅威ではなくなるまで、あらゆる参加者にとって狭き門になるのでしょう。
参加できることになっているんだから、制服コミュニケーションを蹴るわけにはいかない。
主催者に失礼だし、もっと有名なイベントは、これまでよりずっと遠いものになっていくはずですから。
10月に感染禍が峠を越えていることを願って、無事に開催される前提で臨みましょう。
この頃つい後ろ向きな気分になってしまうけれど、何とかがんばって、当日売れそうな頒布品を制作します。
ゴールは見えない。でも戻るあてもない。
パンデミック前に本当に戻りたいのか?
あのころが本当に良かったのか?
そう聞いてくるのは、くよくよするな、とでも言うためなのでしょう。
私だって良かったから戻りたいのではありません。
作品を効率よく制作して、しかるべき評価と報酬を受け取る立場を目指す。
作品の作り方は改善を重ねたのに、仕事として相手にされる段階にたどり着かないうちに、次の機会があるのか分からない時代が突然来てしまった。
フリダシに戻されてしまったことを思えば、2歩か3歩だけでも前進していた頃の方がマシに決まっています。
漫画家になりたいとは言っていません。まして人気アーティストを目指すとも言いません。
私が求めているのは、性格や特技を尊重される生活です。もしも漫画家になると実現できる生活だとすれば、漫画を書きます。
いやあ、一般消費者には知られていないけれど、作品の技術で稼げる仕事が結構あるんだよ。
そう言われるなら、必要なのは、その知られていない情報です。いいツテを紹介してください。検索して出てくるものだけ並べて知った口叩くのはやめろよ。
イベントが開催されるのか分からない状況が、まだ年単位で続くようです。同人誌即売会なんか、パンデミック前のように開催されることはもう無いのかもしれませんね。安全だと思って再開したその日に第二波の感染爆発が起きる、その恐れが年単位で続くのなら。
まあ、戻れないものを悔やんでも役に立たないか。今までどんなイベントでも、私の作品は人気が無かったんだから。
今までの出展のやり方を続けたとしても、仕事として作品を作る立場になど到達できないのかもな。
技術的にはできることを増やしてきたつもりです。イベント出展は少しでも手がかりになると思ってがんばってきました。
でも、新しい対策を考えるしか無いのかな。…それとも新しい手と言うより、作品づくりの練習あるのみだろうか。
技術をもっと鍛えるしかないのかな。作品の中身にもっと磨きをかけるしかないのか。
私の作品が印象に残る。作品を、登場人物を応援したくなる。だから、絵や本をとっておきたくなる。
そんな作品を作れるように、努力するしかないのか。
戻っても意味は無い。目標へ進むしかない。たどり着けるか分からないけれど。
愚痴を書いても誰も読まないか。すいません。この頃こんなことしか思いつかなくて。
戦しい生活様式
久しぶりにトイレットペーパーを見かけたので買いました。
感染禍の終息まで何年か、まだ分からないようだけれど、こうした品薄はどうやら2年3年と続くのではなさそうで、少しホッとしました。
でも、買い物を済ませて店を出た時、自分がマスク着用を忘れていたことに気づきました。
出発してからずっと、ぼんやりしていたようです。
…公園で遊んでいた子供が怒られたとか、休業要請に応じない店が非難を浴びたとかニュースは聞くけれど、今日の自分、よくも誰からもバッシングされなかったものだな…
ストレスが多い状況が、いつ終息するとも知れずに続くとは言え、私もこの頃まいっているんでしょうか…。
人との距離を置く。外出は必需品の買い出しのみ速やかに。イベントも図書館も無い。
「新しい生活様式」と呼ぶものなのか知らないけれど、そんな呼び方をするほど、好きになれるものではありません。
でも、私がいくら嫌っても関係ないのでしょう。
ほんの一時的な我慢ではない。じきに以前どおりの生活に戻るなどと思ってはならない。
これはウイルスとの戦争。
慣れなければならない。そういうことなのでしょう。
新しい様式とは、どんな時代が始まるんでしょうね。
テレワークやテレビ会議の機器が、一般住宅にも当たり前に備わっている時代。そういう機器が冷蔵庫や電子レンジ並みに手軽に買えるようになるのかな。
インターネット接続契約や携帯端末購入は、誰でも無条件に、手軽にできるようになる。
銀行へ現金をおろしに行くとか、買い物で外に出るのは、命を危険にさらす行いだから。
店も学校もオンライン。いいじゃないですか。
私の学生時代には、学校の周りのコンビニその他の店の人はみんな、学生はマナーが悪いと決めつけていた。もう会わなくていいよ。ホッとしたでしょ。
スポーツの試合も、コンサートも、すべて廃止。
さて、ここでクイズです。こちらに並べた道具の中で、ラグビーという種目で使われていたものは、どれでしょう??
えっ、ラグビー? 何それ?? そんなものがあった時代って、すげえ昔じゃねえの?
こんな風に書いていれば、ワクチンや治療法の開発をしている人は激怒するかもしれませんね。「そうならないように全力で急いでいるんだ」と。
そうでしょう。マスメディアで、テレワークも結構いいもんだとか、オンライン授業したいねって聞くのは、避けて通れない現実に対して、否定的になっている場合ではないからでしょう。
今の状況を避けて通ることはできないし、その後にどんな時代が始まるのか、誰にも分からない。
時代へ皮肉を言っても役に立たない。自分自身、前向きにも楽しい気分にもならない。
昨日、投稿しようと思っていたけれど、あまりにもひどい愚痴だったので、少し書き直してから投稿しました。それでもくたびれた文面ですけれど…。
よく考えたら今回も、作品の話題、出していませんね。こんなことでどうするんだ自分。
何かもう少し、自分のするべきことをよく考えましょう。
ぼろタオルの主張
物のデザインは、使い道に影響します。
日用品もデザインによって、使い道を変えようという気になります。
いたんだタオルでも、白無地のものは切り分けてウェスにしました。
けれど、気に入った色や柄のタオルは、あまり小さく切らないようにして、自宅の中でハンカチの代わりに使える大きさにしたり、テーブル拭き専用にしようと思いました。
そんなことは誰でも思いつくじゃないか、と言われるでしょう。
その通りです。誰にとってもデザインは、意味のある要素なんです。
日用品が、少しおしゃれな色柄をしているおかげで、捨てるのが惜しくなったり、大切に使おうと思ってしまう。
悪趣味な色柄だから、買おうと思わない。
つまらない外見で、品物として殺風景だから、いたんでも気にならない。
私でさえそう思うのだから、私よりも人格や教養が優れている方々ならば、思い当たる事例が数多くあることでしょう。
意識しなくても伝わり、持ち主・使い手を誘導できるデザイン。そこにあるのが自然だという気がしてくる、つり合いのとれたデザインが理想なんです。
自分がしていることには意味がある。そう主張しなければならないし、自分でもそう信じていなければならない。
外出自粛がさらに延長されるようだし、私が出展できるイベントなど、もう今までの形で開催されることは無い、と言う時代が始まるらしい。
足元が揺らぐ時ほど、努力しなければならない。
当然なんでしょうね。
作品発表の場が、消えてなくなる。ネット投稿だって、いつ運営者の都合で投稿できなくなるのか、わからないし。
売り込む手段が見つからなくなってゆく。
仕事として作品を作る立場にたどり着けない。私の特技や性格が尊重される生活に、たどり着けない。
それが私の命を守るため、周囲の人々の命を守るため、というわけか。
愚痴を言いたくなってしまいますが、誰かが親切な助言をしてくれるわけじゃない。誰にだって自分の都合があるんですからね。
じゃあ自分は、どうするのか…
考えてみれば、今、無気力になって作品を作らなければ、何もしなかったという事実しか残らない。私の事情を忖度する奴なんかいるはずが無いから、怠け者、作品を作る意欲が無い、そんな風に悪い評価しか受けられなくなる。
誰からどう言われても、どんな態度を取られても、自分にとって何が大切なのか、自分で見定めて守ってゆくしかない。
だから、私には評価される権利がある、報酬を受け取る資格がある、そう信じて主張するために、ぼろタオルなんかでも手がかりにするんです。