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ぼろタオルの主張

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 物のデザインは、使い道に影響します。
 日用品もデザインによって、使い道を変えようという気になります。

 いたんだタオルでも、白無地のものは切り分けてウェスにしました。
 けれど、気に入った色や柄のタオルは、あまり小さく切らないようにして、自宅の中でハンカチの代わりに使える大きさにしたり、テーブル拭き専用にしようと思いました。

 そんなことは誰でも思いつくじゃないか、と言われるでしょう。
 その通りです。誰にとってもデザインは、意味のある要素なんです。

 日用品が、少しおしゃれな色柄をしているおかげで、捨てるのが惜しくなったり、大切に使おうと思ってしまう。
 悪趣味な色柄だから、買おうと思わない。
 つまらない外見で、品物として殺風景だから、いたんでも気にならない。
 私でさえそう思うのだから、私よりも人格や教養が優れている方々ならば、思い当たる事例が数多くあることでしょう。

 意識しなくても伝わり、持ち主・使い手を誘導できるデザイン。そこにあるのが自然だという気がしてくる、つり合いのとれたデザインが理想なんです。

 自分がしていることには意味がある。そう主張しなければならないし、自分でもそう信じていなければならない。
 外出自粛がさらに延長されるようだし、私が出展できるイベントなど、もう今までの形で開催されることは無い、と言う時代が始まるらしい。

 足元が揺らぐ時ほど、努力しなければならない。
 当然なんでしょうね。

 作品発表の場が、消えてなくなる。ネット投稿だって、いつ運営者の都合で投稿できなくなるのか、わからないし。
 売り込む手段が見つからなくなってゆく。

 仕事として作品を作る立場にたどり着けない。私の特技や性格が尊重される生活に、たどり着けない。
 それが私の命を守るため、周囲の人々の命を守るため、というわけか。
 愚痴を言いたくなってしまいますが、誰かが親切な助言をしてくれるわけじゃない。誰にだって自分の都合があるんですからね。

 じゃあ自分は、どうするのか…

 考えてみれば、今、無気力になって作品を作らなければ、何もしなかったという事実しか残らない。私の事情を忖度する奴なんかいるはずが無いから、怠け者、作品を作る意欲が無い、そんな風に悪い評価しか受けられなくなる。
 誰からどう言われても、どんな態度を取られても、自分にとって何が大切なのか、自分で見定めて守ってゆくしかない。

 だから、私には評価される権利がある、報酬を受け取る資格がある、そう信じて主張するために、ぼろタオルなんかでも手がかりにするんです。
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