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新キャラクター、回る

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 キャラクターを新しく作りました。2018年末考案のアイデアでしたが、外見以外は特に決めていなかったので、今まで未公開でした。
 けれど、少しでも作品のマンネリ化を防ぐためには、登場キャラクターができる限り多彩であるほうがいいだろうと思ったので、今週、Blender上の3Dデータを実働段階に仕上げて、公開することにしました。
 前後対称の外見ですが、名前や性格といった詳細は、これから決めて行きます。
 くるくる回ると面白いかな、と思ったので、コマに乗せてみました。
 回るというモチーフから連想して、プロペラのおもちゃを持たせてみました。胴体のギザギザの部分を棒でこすると、前のプロペラが回るというものです。



 景況が急速に悪化していると言われるし、感染が終息しても、作家としての仕事を探すためには必死の努力をしなければならないんですから、こんなアイデアでも出し惜しみしている場合ではないと思いました。
 今のパンデミックに対しては、世界全ての人が当事者ですから、間違いなく全世界の誰もが影響を受けています。
 感染や重症化の不安を意識する人もいます。休業や外出規制などで生活の変化は避けられないから、他人事だと思って無関心の人も、小さくないストレスを受けているはずです。

 こんな時、誰かを見下すことは慎むべきです。感染者を差別したり、落ち度があったと非難してはならないはずです。
 安易に敵を探す振る舞いは、あってはならないことです。
 でも、そんなことを私が言っても誰にも届かないんだから、私は自分の仕事を見つける努力をするしかないでしょう。



 キャラクターとは関係ない話ですけれど、マスクを見つけました。
 新しく買ったのではなくて、私が使い捨てマスクを使うようになる前、花粉の時期に使っていた布製のマスクです。
 繰り返し洗って縮んでいるし、使い捨てマスクよりも不便だけれど、捨てていなかったのはラッキーでした。大切に使います。
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在宅時間と不安が増える

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 どんな食べ物や日用品でも、買い足しができるのか不安になりながら使っています。

 初めて、散歩にも買い出しにも出ないで、一切外出無しで過ごしてみた時、食事には、賞味期限の短い食材と併せて、非常用の保存食も使いました。
 本当に備蓄が無くなってしまう前に買い出しに出かけたのですが、安いからいつも行っていたスーパーには、いつになく長い行列ができていて、缶詰やレトルトといった保存食の売り場は空っぽになっていました。トイレットペーパーを置いていたはずの場所は、別の品物の売り場になっていました。

 どんな食品や日用品が品薄になりやすいのか今は予想できないから、いつも安売りしていた店を、あてにはできなくなりました。
 思い浮かべたこと、期待したことと、ことごとく外れて、世の中が私をあざ笑っているような気がしてしまいます。

 感染者数も減っていないし、ニュースでの呼び名も相変わらず、新型うんぬんという、長い呼び方です。
 コビッド、とか、コービッド、という名前が言いにくいと言われることがあるようですが、それは文系能力の面で問題ではないでしょうか。

 私のように理科や算数が苦手な者でも、ウイルスが何なのかは知っていなければならないし、パソコンの使い方も知らなければならない。
 未熟な者に合わせることができない点です。
 コビッドと発音できないばかりに、発見地の地名を付けようというのは、してはならないことです。
 当然、特定の国や住民に対する、侮蔑や偏見による言動も許されません。

 地名を疾病そのものとして残す悪習を続ければ、この先どこかで新しい疫病が見つかった時、現地が汚名を着せられることを恐れて、情報を隠そうとする可能性があります。
 人文社会系の視野が足りない人の言い分に合わせるためなら、将来どこかで、人類が滅びてもいい、とでも言うのでしょうか。



 仕事が大詰めの時期には、毎食インスタントや調理不要の食品で済ませる。というような人は珍しくないでしょう。今年2月までの私もそうでした。

 品薄に対処するには、手に入る食材を臨機応変に使えばいい。と言われますが、安いけれど手間のかかる食材をまとめ買いしてしまうと、その後長い時間を、下ごしらえのために費やしてしまうことになります。

 ずっと昔の一時期の私はそうでした。つらい思いをして家事を片付けているのに、作品を作る時間が確保できなくて、いったい自分は何のために人生使っているんだ?…そんな気分になって、あれほど空しい気分で飯を食っていた頃は、他に無かったような気がします。



 外出自粛だから、家で有意義なことをして過ごそう。その通りですが、どうやら実現するためには、試行錯誤も努力も続けなければならないようです。

 こんな時だから、家で読書しよう。私にとっても魅力ある言葉ですが、日常で欠かせない物をすべて調達できていないと、集中することは困難です。



 私なりに工夫します。

 食材は、手間がかからないこと。カット済みでパックされている。冷凍できる。そういった基準で選びます。
 
 マスクとアルコール消毒液と、トイレットペーパーは見つからないけれど、対策はこれから考えていきます。

 家でゆったり読書、というものは、そんな気分にたどり着いた暁には、ぜひとも実践させていただきたいところです。

 もしも、こんな時にパソコンが故障したら、どうすればいいんだ。販売店も開いているのかどうか分からないし、アメリカや中国のメーカーから、部品や製品が取り寄せられるのかも分からない。
 たかがそんなことで、作品を作れなくなったらどうしよう。
 カゼが少し進化したようなウイルスのせいで、作家として認められるチャンスを失うのか?
 不安になりながら、机に向かっています。
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もしかすると向こうも、一丸となってるつもりかもな。

 私たちすべてが、嵐の中にいる。今年の1月、今の感染禍への対策を始めた中国の医師が、そう話したと聞きます。

 例え方は、それで充分ではないでしょうか。

 最近の著名人には、感染防止を戦争に例える言葉が目立つような気がします。
 ウイルスとの戦い、と言う程度にとどまらず、国民一丸となって、だとか、日常生活が、全世界が戦場なんだ、とか。


 私自身は、ものごとを言い表わす時には、戦争に関わる言葉は避けるように気をつけています。感染症に限らず、どんな話題の時もです。
 他に言いかえる表現が無い場合もありますが。何とも人類とは戦争に親しんで暮らす生き物だ…とがっかりするけれども、それでも選ぶ余地がある時には避けています。
 そういう言葉を使っていると、殺し合いが好きな奴だとか、戦争が良いことだと思っているなどと、決めつけられることがあるからです。



 感染拡大を抑えようと呼びかける発言で、戦争をたとえに出す人にも、それなりの意図はあるのかもしれません。

 聴衆が聞き流さないように、強い印象を与えようとしたのかもしれません。

 こういう状況だから、ろくにものを考えずに軽率な行動を取る人たちには、脅しをかけておとなしくしてもらう、という意味もあるのでしょうか。


 適切で役立つ表現だと見なす人もいるのでしょう。

 今を戦時と考えるのは、政府が民間へ補償を送る場合に、平時の税収のような見返りを期待しない、という意味かもしれません。

 必死で消毒作業や医療に従事する人々を、気高い戦士としてたたえる気持ちなら、分からないことはありません。


 一方で戦争を好きな人が、今こそ好みの言葉を使う絶好のチャンスだ、と思っているのかもしれません。


 でも、ウイルス達もそう思っているとしたら?

 偶然たどり着いた、ヒトの体内という新天地で、ウイルス一丸となって気勢を上げているのかも。
 われらこそ天命を授かり、未知の世界を切り拓く、選ばれしウイルスなのだ、なんて。
 マスクや必需品を買い占める人間がいるように、ヒトの肺やノドに必勝戦略の鍵があると思い込んで、連日押しかけているのかも。



 荒っぽい言い方って、役に立つんでしょうか。
 私が使った時には、相手がおとなしくなった覚えはありません。むしろ反発が激しくなります。
 私が悪者と決めつけられて、不利になるだけでした。
 本当は熱心でいい人なんだよ、などと私を弁護した人なんかいません。

 私だって、きつい言い方をされても、相手と仲良くする気にはなりません。
 そういう相手は、吠え癖がついた犬のように見えます。凶暴で執念深いが、情熱も知性も正義も無い。勇気や強さが無いことを必死で隠している。
 私に対して上官気取りをしたいのであって、私との信頼や交流は目指していない、そんな人だと分かります。

 それとも、マスメディアで戦争を例えに出す人は、ああそれでもこの人は平和主義者なんだと伝わる、すごい人徳の持ち主で、私は人格が劣るから、誤解されないように身の丈に合う言葉を使え、と言うことなんでしょうか。



 そんな話はともかくとして、医療も軍事も専門ではない私は、作り手として評価を受ける時を目指して、作品をつくる日々です。
 感染禍が終わっても、私が作品で稼げるようになるわけではありませんから。

 嵐が止んでも、ぬかるみを歩かなければならないことに変わりは無い。

 読み手に伝わるように言葉を選んで、どんな表現がふさわしいのかと推敲する日々です。
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つまらない日々に思い浮かぶこと

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 単なる想像ですが、ウイルスは新種と確認された時にはすでに、世界中の人の往来のせいで各地に散らばっていたのではないか、と思う時があります。
 新種だと分かったのは中国だったけれど、もとは世界のどこで、どんな自然環境に潜んでいたウイルスだったのか、調査する術があるのでしょうか。
 ウイルスや、その感染症を地名で呼ぶ意味は無いでしょう。もしも地名にこだわれば、感染者数が最大の地にちなんで、USAウイルスと呼んではどうか、なんて提案も出てこないとは限りません。
 コビッド-19という印象の薄い名前には、名付けた人々の意思が表れているのではないでしょうか。この感染症へ、ウイルスへ、愛着のかけらも持っていないのです。



 気が付くと考えごとばかりして、この頃作品づくりがはかどっていません。
 必需品が入手困難になるのも面倒なのに、そのうえ数日前は普通に売られていた物が突然品薄になるので、家事を片付けようとしても、どこでどんな工夫をすればいいのか、するべきことがコロコロ変わって毎日気疲れします。

 石鹸またはアルコール消毒液で手を清潔にしましょう、というけれど、アルコール消毒液を私たち一般消費者が買うことは、もはや不可能でしょう。
 各地のニュースで消毒作業をする人たちの記事を見ます。拭いたり散布したりするのに使っている大きなタンクが消毒用アルコールだとすれば、今全世界で大量に必要とされているのだと想像できます。けれど、まさかこのまま石鹸まで入手困難になってしまわないかと、不安にもなります。

 布マスクを全ての世帯に配布する、というニュースも聞きましたが、世帯ごとにどのサイズが必要なのか、行政が把握しているのでしょうか。

 もしもガーゼのマスクなら、1、2回洗えば縮んでしまいます。
 鼻の周りに大きく隙間ができるし、話せば下唇がマスクの外に出てしまいます。それで予防効果があるのでしょうか。
 それに、とても外出時に人前で着けるものにはならなくなります。
 今どきのアパレル製品のような、繰り返し洗濯しても傷みにくい布のマスクが調達されているのでしょうか。
 縮まないように丁寧に押し洗いして煮沸しろ、と言われるかな…それも毎日1回ないし数回か…。ああ、使い捨てマスク買いだめ組との格差だな…



 5月に予定されていた、コミティア132extraの開催は中止されました。気持ちは沈みますが、その判断を私も支持します。
 ビッグサイトの建物自体は、館内の換気機能は優れているのかもしれませんが、乗り合いの鉄道・バスが交通手段の中心で、宿泊施設を必要とする遠方からの参加者も多いから、現状では困難が大きいことは想像できます。

 その一方で、こうした行事などを何もかも中止・自粛するということは、いつまでも続けられないはずです。今回のコミティア中止を私が支持する根拠は、会場や行き帰りの交通機関を実際に見た経験です。

 コミティアのサイトに掲載された、中止の決定についての文章の中にも、イベントは開催地、内容、規模などの個別の事情に合わせて是非を判断されるべきだ、という意味のことが書かれていました。

 私は主催者の検討過程を知る立場ではありませんが、中止は何らかの圧力に屈したのではなく、有力者の発言に忖度したのでもなく、ましてや怠慢などではないでしょう。
 実施できれば、これまでの開催同様に利益を得られるはずだったものが、感染対策を見つけられず、やむなく諦めたのでしょう。

 別の誰かが、対策を講じた上で、何かを実行に移そうとする時には、とにかくやめろと言うべきではないと思います。



 ワクチンができるまでには、早くても1年~1年半はかかるという話を聞きました。何年必要なのか、誰にもわからないようです。

 けれども、その年月を、食品と医薬品生産以外の仕事を休止状態にする、というわけにはいかないでしょう。

 政府がたとえ全世帯に生活支援をするとしても、その給付の元手は、私たちが納めてきた税金のはずです。
 世の中の商売がどれもこれも長い年月の間、絶対安静を強いられていれば、政府による支援というものは、どこから来ることになるのでしょう。
 中央銀行が紙幣を増産するのか、政府が国債発行を増やすのか。
 それではウイルスの毒を防ぐつもりで、お金の価値が狂って、社会が滅びる時が来るかもしれない。

 とにかく外出せず、何もするなというのは、数日・数週間でもつらいのに、何年・何ヵ月は法外な要求でしょう。
 ニュースでも、今中止・規制されていることは、どんな対策をとれば、いつ再開していいのか、私たちが考えていかなければならない、という話をしていました。
 感染から人を守るためだとしても、社会に根付いて親しまれている営み、必要とされている何かに対して死を命じれば、別の災いも起こり得ます。

 今は世の中すべてが、病室から出てはダメだと言われているようなものでしょう。
 だとしても、その入院費を私たちがどうやって払うのか考えるのは、お医者さんの仕事ではありません。
 私たちができることを探さなければならず、してはならないことを区別しなければならないはずです。



 何とかしたいと考え込んでいるんです。
 テレワークができる立場の人は恵まれています。成績優秀な新卒学生さんなら、こんなご時世でも採用担当者が会ってくれることでしょう。
 うらやましいと言っても、私が非難を浴びるだけかもしれません。お前が無能なんだろう、とでも言われるのかもしれません。
 それでも私だって、作品を認めて対価をくれる誰かを見つけて、その相手と信頼関係を築かなければと焦っている身の上です。



 中止・延期が何かにつけ避けられず、普段の家事まで予定を狂わされる時があって、今はとても気が重い日々です。

 東京都の新しい感染者が増えていると聞きますが、今新しく報告されているのは春分の日の頃、まだ油断していた人たちの影響かもしれません。

 その後、都や、いくつかの県が、住民に移動や外出の自粛を要請するという報道が増えました。
 医療従事者の立場から、政府が厳しい規制を課すことを強く求める発言もありました。
 有名な人気コメディアンが新型ウイルスのために亡くなったというニュースもありました。

 誰も、何も受け止めなかった、などということは無いと思います。

 これから、感染しやすい行動を取る人がもっと減っていって、やがて新たな感染者の報告数が減少するかもしれません。そうなることを期待しています。

 有効な治療法を探す努力が実るように応援しています。

 デマや買い占めなどの混乱が収まって、私たちの日常の家事まで振り回される状況が、早く終わってほしいです。

 イベントが問題なく開催される時が、休日を楽しむために外出する時が、帰ってくることを待っています。

 この先、9月や10月にどうなっているのか予測はできませんが、10月にイベント出展の予定のある者が、会場までの交通手段の下見に行っても、支障の無い状況になっていることを望みます。

 きれいごとを言っているのではなく、その先に私の評価・報酬を手にする目標があるからです。
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