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もしかすると向こうも、一丸となってるつもりかもな。

 私たちすべてが、嵐の中にいる。今年の1月、今の感染禍への対策を始めた中国の医師が、そう話したと聞きます。

 例え方は、それで充分ではないでしょうか。

 最近の著名人には、感染防止を戦争に例える言葉が目立つような気がします。
 ウイルスとの戦い、と言う程度にとどまらず、国民一丸となって、だとか、日常生活が、全世界が戦場なんだ、とか。


 私自身は、ものごとを言い表わす時には、戦争に関わる言葉は避けるように気をつけています。感染症に限らず、どんな話題の時もです。
 他に言いかえる表現が無い場合もありますが。何とも人類とは戦争に親しんで暮らす生き物だ…とがっかりするけれども、それでも選ぶ余地がある時には避けています。
 そういう言葉を使っていると、殺し合いが好きな奴だとか、戦争が良いことだと思っているなどと、決めつけられることがあるからです。



 感染拡大を抑えようと呼びかける発言で、戦争をたとえに出す人にも、それなりの意図はあるのかもしれません。

 聴衆が聞き流さないように、強い印象を与えようとしたのかもしれません。

 こういう状況だから、ろくにものを考えずに軽率な行動を取る人たちには、脅しをかけておとなしくしてもらう、という意味もあるのでしょうか。


 適切で役立つ表現だと見なす人もいるのでしょう。

 今を戦時と考えるのは、政府が民間へ補償を送る場合に、平時の税収のような見返りを期待しない、という意味かもしれません。

 必死で消毒作業や医療に従事する人々を、気高い戦士としてたたえる気持ちなら、分からないことはありません。


 一方で戦争を好きな人が、今こそ好みの言葉を使う絶好のチャンスだ、と思っているのかもしれません。


 でも、ウイルス達もそう思っているとしたら?

 偶然たどり着いた、ヒトの体内という新天地で、ウイルス一丸となって気勢を上げているのかも。
 われらこそ天命を授かり、未知の世界を切り拓く、選ばれしウイルスなのだ、なんて。
 マスクや必需品を買い占める人間がいるように、ヒトの肺やノドに必勝戦略の鍵があると思い込んで、連日押しかけているのかも。



 荒っぽい言い方って、役に立つんでしょうか。
 私が使った時には、相手がおとなしくなった覚えはありません。むしろ反発が激しくなります。
 私が悪者と決めつけられて、不利になるだけでした。
 本当は熱心でいい人なんだよ、などと私を弁護した人なんかいません。

 私だって、きつい言い方をされても、相手と仲良くする気にはなりません。
 そういう相手は、吠え癖がついた犬のように見えます。凶暴で執念深いが、情熱も知性も正義も無い。勇気や強さが無いことを必死で隠している。
 私に対して上官気取りをしたいのであって、私との信頼や交流は目指していない、そんな人だと分かります。

 それとも、マスメディアで戦争を例えに出す人は、ああそれでもこの人は平和主義者なんだと伝わる、すごい人徳の持ち主で、私は人格が劣るから、誤解されないように身の丈に合う言葉を使え、と言うことなんでしょうか。



 そんな話はともかくとして、医療も軍事も専門ではない私は、作り手として評価を受ける時を目指して、作品をつくる日々です。
 感染禍が終わっても、私が作品で稼げるようになるわけではありませんから。

 嵐が止んでも、ぬかるみを歩かなければならないことに変わりは無い。

 読み手に伝わるように言葉を選んで、どんな表現がふさわしいのかと推敲する日々です。
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