正解の無い問いは、そこらにいくらでもある
元気が出なくて困るけれど、だからこそ元気がなくなることを考えないように気をつけています。
自分の性格や特技に合う仕事を目指す、と言うと「自分勝手だ」と非難されることはあります。
そこで真に受けてはいけないんです。
悪いことなのかそうではないのか、絶対正しい答えが一つだけあるのではない、という問いは日常生活にだってあるんです。
エッセンシャルワーカーではない仕事を見下す者もいる。逆にエッセンシャルワーカーを見下している者もいる。
私が絵を描いていいのか悪いのか、わからなくなります。
全部聞き入れたら、どっちにも行けないことになります。
でも実際には、非難なんか聞いている場合じゃないんです。
私を笑い飛ばす者も、皮肉を言う者も、怒る者も、私とまともな話し合いをする意思が無い証しなんです。
そう言う奴の言動は参考にするものじゃない。
絵を効率よく描くためにパソコンやペンタブレットを使っている。
親の介護をしながら、それでも予定が変わることをできる限り防ぐために、開封してすぐ食べられる食品を買って、調理を省いている。洗濯物は量がまとまってからではなく、自分の都合に合う時間に洗濯している。
金額も水や電気ももっと節約できると言われれば確かにそうだけれど、自分のストレスを減らすためにこうやっている。
エッセンシャルワーカーを賛美する人も見下す者もいる。
他の仕事や行動も、そんなものなんでしょう。
誰もかれも全てが認める、理解する、受け入れる選択肢なんか無いんでしょう。
ひとつ言えるとすれば、結果を出しているかどうかなのかもしれません。
絵を描くのなら、絵で評価されて報酬を受け取っているのか。
そう実現できているとすれば、私の絵を非難するのは、私の仕事を妨害しているのだから、まともに口をきかなくていいはずなんです。
結果を出そう。うまくいくかどうかまだわからないけれど、目指すべきことを目指そう。