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名前には 意味がある [メイキング - ワークスタイル]

 去る5月末のデザインフェスタ、6月初めに参加したコミティア。
 どちらも、私のブースは殺風景でした。

 製本した漫画を並べただけ。
 看板も無い。漫画の内容を紹介するような、張り紙なども無い。
 お客さんが足を止めるわけもありません。

 こんな出展にしてしまった原因は、いくつかありました。
 親の介護が必要になって、私がしなければならないことは確かに増えました。作品づくりに使える時間や体力も、制限を受けてはいます。
 けれど、それだけではありません。介護の苦労ひとつを悪者に仕立てても、役に立ちません。問題が解決不能に見えてしまうだけです。

 自分の一存で取り除ける障害物は、自分で見つけて取り除くんです。



 作り手としての活動の中心は、もちろん作品本編を作ることです。
 それなので、漫画本編を作ること以外の作業、例えば、看板やチラシを作ることなどを、「枝葉の作業」だと思ったり、良くても「応用・発展」だと、頭の中で呼んだりしていました。

 けれど、枝や葉と見なすと、切り払っても何とかなるとか、枯れても構わないところ、なんて思ってしまいがちです。
 応用・発展では、優等生さんがやることで、私があえて手を伸ばすところじゃない…とでも、思ってしまうかもしれません。

 名前には、意味があるんです。名付けた本人だって、影響を受けます。
 ふさわしくない名前を付けると、自分まで名前の暗示にかかるんです。



 作品本編を執筆して、仕上げることが、最終目標。
 それなら作品を売り込む準備は、目的地にたどり着くための通過地点じゃないのか。

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 枝葉だと思ったら、必要に応じて切り捨ててしまう。
 けれど、停車駅だとすれば、避けて通るのはなぜなの?
そう思わせることができます。

 作品発表の場を探すために、出版社や雑誌、イベント、投稿サイトなどについて調べる。
 慣れていて、すぐに情報を列挙できる人は、それで構いません。

 でも私の場合、ついでの時にやればいいことだ、と思ったら、やらなくてもいいことだと思い込んで、手をつけなくなってしまいます。

 じゃあ、ついでではなくて、作品本体を運行するための保全作業だととらえたら?
 漫画を書くだけで売り込む場を探さないのでは、汽車があるだけで駅も線路も造らないようなものじゃないか。

 自分にとって大切なものを、ふさわしい名前で呼ぶ。
 物事の実態は変わらなくても、こちらの心構えが変わります。
 予定を立てる時、思い出すか、気に留めるかが変わります。
 良い名付け方をして、良い方向での暗示に活かせるほうがいいはずです。
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