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ふわふわパイロット、ちょっとだけ未来 [パーソナル ノート]

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 ミルコーロ・ゼンプテは元気なパイロット。空中を飛ぶ舟・ルフトカーンを操り、ハンドバッグ型の簡易端末をたずさえる。
 行動力も知識もあるけれど、発想は短絡的。テレビなどで見た情報を正確に覚えるけれども、その種の情報をうのみにするタイプ。
 愚痴や言い訳をよく口にするけれど、一目置いた相手に対しては素直に従う。
 口は悪いけれども、悪だくみはしない。陰湿な嫌がらせはしないが、そりが合わない相手に正面から勝負を挑んでさわぎを起こす。

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 昔、SF作品のために考え出したキャラクターなので、ミルコーロは、メルヘンの世界にしては奇妙な小道具を持ち込んできました。
 けれども、これでいいんじゃないか、と思った理由はいくつかあります。



 『銀河鉄道の夜』は誰もが知っていて、今や蒸気機関車はファンタジー作品に登場しても、ごく自然に受け入れられています。
 けれども宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』を執筆した時代は20世紀前半の、第二次世界大戦よりも少し前、燃料で動く乗り物がまだ珍しかったころでした。
 蒸気機関も電気も最先端のハイテクだったのに、それを登場させた童話を作って、シリアスで悲しさもはらんだ幻想物語に仕上げたということは、作者の並外れた才能と冒険心だったんです。
 …このことは、私の学生時代に、宮沢賢治をとりあげたゼミで聞いた話です。そう気付いたときには、私も目からうろこが落ちたような気がしました。

 『レ・ミゼラブル』で、悪役のテナルディエ夫妻が登場する場面でのことです。
 夫妻が幼いコゼットをいじめる本番が始まる前に、この夫婦の人となりを説明する部分がありました。
 二人がそれぞれ、普段どんな本を読んでいるのか…というくだりで、読んでいた私は妙な気がしました。
 ― 学の無い庶民だと思ったのに、日常的に読書をするの?
 もちろん、当時の私のとらえ方が間違っていたんです。話は19世紀前半、インターネットどころかテレビも無かった時代なんですから、現代の舞台に読みかえるとすれば、テナルディエ夫妻はテレビでどんな番組を見て、ウェブでどういうサイトをブクマしてるか…という感覚のキャラクター紹介だったんです。

 時代が違うと、日常生活の中での舞台装置や小道具の役どころも変わるようです。



 空飛ぶリンナミーシャたちが暮らす舞台はファンタジー風ですけれど、決して幸せの国でも夢の世界でもありません。現実の私たちと同じように、さまざまな困難を乗り越えて生きてゆく世界です。

 そういう困難を描写する必要がある場合に、現代の現実と近い方がよい場合がある、舞台装置や小道具の役どころがかけ離れたままだと、場合によっては、本題に入る前に回りくどくなる。ウェブで公開するのだから、読みやすい手軽さをこころがけないと。そして、物語を築き上げるとき、冒険をためらってはいけない。

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 自家用車感覚で使える乗り物、それに今日のパソコン、つまり科学者が使う特別な機械というよりも、私たち庶民が日用品として使うような機器が登場する、そんなファンタジーを作れるかな…ミルコーロを作品に登場させた時の判断でした。

 そう思ったからミルコーロは、簡易端末を手に、空飛ぶ舟のルフトカーンに乗って、ゼフィーベという地へ現れたのでした。
 SF上で学生と言う設定だったことを今も引きずっていて、それでセーラー服を着ています。
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